初恋のとむらいかた



2023-06-09 18:27:10
いちごさんが死体を焼きます。
※一部暴力的差別的表現がありますが、支持や助長の意図はありません。(語り手も見聞にのみよる知識です) 初出 20.4.22




 さして大きくもない声で、背中にその名前を投げる。
 かぎろいの中でもよく響くいつもの声音が返ることに、安堵する。いいえそんなのはうそっぱちです。私小説にさえなれないくらいの後暗い欲が鎌首をもたげるから、目を逸らすのにいつだって心底必死なのだ。
「まだかかりそうですか」
「ううん。あともうちょっと。呼びに来てくれたの?」
 肯く。貴女は炎から視線を外さぬまま、ふわふわと「ありがとう」と言った。
 萌葱の上着だけを脱いで、見慣れぬ白いシャツが、赤赤と照り返されている。紙魚みたいな骨の尖が余炎ににぶく透けている。帰りましょう、いちごさん。炎の中にはもうあなた一人だけですよ。声は恐らくとうに届かなくって、目を逸らしたいのに逸らせない私だけが淡青い此岸に取り残されていた。
 かわいそう、だ。

 大禿。ひとの血肉には多かれ少なかれ魂鋼が含まれていて、モノと成り果てたむくろは頭部だけになっても生者を追い、襲い、殺し続ける。だから死体は頭蓋を粉々に砕くか、火葬しなくてはいけない。
 けれど文化水準なんてかの災厄とともに地に落ちて久しく、また死体が積み重なる速度が人の手に余るようになって、むごい選択を誰かに託さなくてはならなかった。そしていつの間にか貴女は、屋敷からときおり姿を消すようになった。無自覚な秘密主義者の行き先を、貴女の過去を、貴女のいとなみを、揃って知る人はとても少ない。そのうえ、憑喪を屠る眩い金色の炎と、火夫のなまぬるい炉なんて、目にしたってそうそう結びつくものではない。
 
 骨をね。きちんと見ないと、いつまでもお別れができないでしょう。
 いつかどんなやり取りの合間にか、静かな音階で貴女は言った。
 穏やかな死には立ち会えずにいて、全員を炎へ送り、ひとりでその最後を看取る。
 と書けば美しいけれど、誰もが厭うことだ。
  
 町外れの火場でひとり、淡々と、まるで手付きであるかのように、隠亡のまねごとめいたことをしている。
 こんなことは、ほんとうは、あなたなんかがやるべきじゃないのだ。
 いつでも周りを照らすような笑顔でいる貴女が。それなのに身に染みついた所作が指先までどこか、高潔なひとびとのそれを拭い去ることができずにいるような貴女が、こんな賎しいわざは一生なすべきことではないはずだったのだ。
 
 どうしてそれがあなたでないといけないの。
私だってほんとうは、頭では、わかっている。

 どうしても貴女でないといけない。貴女の炎でないといけないし、請われずとも、壊れずとも、それができてしまうあなただから。
 
 だって。
 そんなことわかってはいるけれど。

 この人は、町の全ての人の顔と名前を一致させている。流れ者だろうと、産まれたばかりの双子だろうと平等に、とり零しのないように。どんな時に笑っただとか、どんな時に悲しんだとか、一切を後生大事に携えているために、貴女はシャッターを切り、笑顔の下で繰り返し繰り返し反芻している。
 だから貴女は祈らない。私だって神様なんて信じてないけど、この人はおどけた声音からもたまに、信じてみたいという願いがちらつくことがある。でもあなたは祈れないのだ。祈ったって戻らないことを、こんなふうに繰り返し刻んでいるから。
 いったいこんなむごい事をさせているのは誰だろう。貧乏くじでしかないな、と私は思ってしまっている。口に出せば貴女はきっと窘めてくれるだろう。貴女が恨まないから、私もそうしているだけ。
 あなたが恨むなら私も恨もう。こんな世界できっと最後の焚書をしよう。
 
 今日も貴女は、私には名もしれぬひとを荼毘に付している。貴女の高温の炎で焼かれる死体は、いつか本で読んだような嫌なにおいのする煙も出さず、生きてきた肉だけを洗われて、清潔な白い骨になっていく。
 貴女は地獄の渡し船の舳先でも危なげなく背を丸めて立っているけれど(あ、もしかしたら、ここは、地獄の入口ではなく出口かしら)。
 熱くないのに、煙もないのに、どうして私は、こんなに息が苦しい。

 やがてこの人の炎を享ける町の人たちは、なんて幸福なのだろう。
 
 真剣少女が死ぬなんて聞いた事無いけれど、もし私が貴女の手から失われてしまったら、私だったものを、貴女はみずから、拾ってくれるだろうか。私が無垢な骨に戻るまで、目を逸らすことなく。見ててくれますか?
 書物から得た知識ばかりのぺらぺらの私は、上等な薪のように優秀な死体であるはずだ。
 そして、
 恋心だけ埋火に燻っていて。焼き残りのそれを火箸の先で、あなたが粉々にくだいてくれる。
 その時まで私に気づかないで。
 張子の私を揺らさないで。
 どうか、私を見ないで。
 
 あなたはまだとおい炎の夢を見ている。
 その隣に立つ私も、心の中で荒唐無稽な夢物語をえがく。貴女の手を取って、二人で火中を駆けるのだ。貴女の持ち歩く私の情けない写真も、藤色の表紙のアルバムも、私の喉も、私の恋も全部全部焼けてしまえ。果てに貴女が私を忘れてしまっても構うものか。ただ火の粉ひとひらでも貴女の髪先へ触らせることは許さない。熱だったら火の手なんてものではなく、灰となる私のてのひらだけがいい。こころだけ刹那あなたに、焼き付いてしまえば、それでいいのだ。
 自殺する文芸家は、こんなつまらないえそらごとを何回だって繰り返して絶筆したのだろう。

 どうせいつか味あわなければならなかったのなら、やさしいあなたを、なんでもないようにまっすぐ見つめ返せる、
 なんだってもっと甘いだけの初恋だったら良かった。
 
 貴女はまだ夢から還らない。
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