空っぽの蔵



2023-04-20 00:13:44
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空っぽの蔵

 本家の邸宅に招かれるのは、大抵はお正月や冠婚葬祭くらいのものだ。そういう時、大人たちは忙しくて、よくわからない話も多く、飽きる飽きないの前に子供はだんだんと手持ち無沙汰になるものである。
 何代か前まで流通業をしていた本家邸は、家業のため人為的に引き入れた川もあるような莫迦みたいに広い庭に、これまた阿呆みたいにでかい蔵が5棟だか6棟だかを擁していた。ただ、母屋の裏手にひっそりと建つ小さい古蔵は別である。手入れはされているのは確かなのだが、建築様式もそれ一つだけ雰囲気が違うのである。ひと気が少なく、いつもそこだけ妙に暗い感じがして、他の子供連中は怖がったが、それをいいことに邪魔されずぼんやりとその付近で過ごすのが、子供の私は好きだった。
 まるで招くように少し扉が開いている日には、魔が刺して蔵の中に忍び込んで過ごすのが、いつしか本家で過ごすさいの常になってしまっていた。埃っぽいだとか黴びっぽいにおいもなくて、ただ女性のものが多く仕舞われているのか、なんだかたまにそういうものとすれ違うように、甘いいい香りがすることもあった。乾いた床に座って、きらきら舞い上がる埃をこれまたぼんやり眺めていた。桐箪笥の抽斗を、そろそろと出して眺めたこともある。絢爛なウェディングドレスだとか、白無垢だとか、金刺繍が美しい目が覚めるような青い打掛、そういったひと目で上等とわかるようなものから、下宿や住み込みの子が置いて行ったのか、若い子が演し物で着るような洋風のカジュアルな変わった洋服もあった。ともかく、幼い頃の自分には全て宝物のように魅力的にうつった。

 その日は蔵で眠り込んでしまっていて、自分の名前を呼ぶ声が聞こえ外に飛び出した。帰りの車の中で、小さな針刺しのような銀の缶が荷物に紛れ込んでいるのに気づいた。中には、錆び付いた小さい鍵が50個以上入っていた。私は、蔵の中に入ったことも、故意ではないとはいえ中のものを持ち出してしまったことも言い難くて、結局言い出せずそのままになってしまった。ちゃちな鍵は罪滅ぼしのように磨くときらきら光った。それらを缶に戻し、秘密と一緒にしまい込んだ。

 それから10年以上本家には足を踏み入れる機会がなかった。次に帰ったのは輿入れの前の日である。蔵があった場所は更地になっていた。
「取り壊す時、あの蔵にあったものは運び出したの」
 傍らの夫に尋ねる。夫は怪訝そうに答えた。
「あの古蔵はお前の産まれる前から空っぽだよ」


 けれど確かに私は見たのである。確かにぼんやり屋で空想に耽ることが多い変わり者の子供ではあったが、あのきらめきや高揚を夢だとは、80年以上経った今でも思わない。

 「だから、」と、そこで滔々とした言葉は切られた。半世紀前に一度没落し掛けたこの歴史ある家を、切り盛りし立て直した功労者である大奥様は、何も言わずに私の制服の肩を勇気づけるように叩いた。それがあんまり優しいものだから、私はまた涙を落としてしまった。そう、だから、孫娘の貴女が見たものも信じるよ、というように、祖母は歳月の籠もった手で私の肩を優しく叩きつづけるのであった。

22.1.4

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